365日ずっと自由!?
例えば、目の前に使い切れないほどの現金があったとしましょう。
もちろん、それは自分で自由に使えるものです。
ずっと我慢していたアレやコレも「ポッと」すれば待つだけです。
少年時代、ガキっ子だったこみちは、学校から帰るとダイニングテーブルに置いてくれた「千円札」で過ごした経験があります。
最初こそ、好きなハンバーガーを食べたり、弁当にオヤツも買って食べたりと、なんでも買えることを便利に感じたこともあったでしょう。
しかし、段々と思うのは「人の温もり」で、「お金で買えるのは同じモノばかりだなぁ」と感じるようになったのです。
社会人になってからも、「お金」を稼げることにこだわっていた時代もありますが、ある程度欲しい物が集まると「孤独感」が強くなり、少年時代の「あの気持ち」が甦ります。
昔から、共同作業や集団行動が苦手で、多くても3人くらいまで、出来たら2人が心地良いと感じます。
今だって、妻の姿を微かに視野に入り、でも特に何か話をしている状況ではない空間が、お金ではでに入らない「幸せ」です。
これが、仕事から解放されて、家族のしがらみからも解放されて、キャンピングカーで全国各地をグルグルと回れるかと想像すると、旅しているエネルギーがあるうちは楽しいですが、ふと「孤独」になると思います。
その世界に没入できるほど視界が狭ければ良いのでしょうが、「このままで良いのか?」という気持ちは、そこから脱する手段を知っているからこそ、戸惑いを感じるのでしょう。
競馬場のCM
若い俳優陣が登場する競馬場のテレビCMを観ていると、「若いって羨ましいなぁ」とか、「あんな風にみんなで騒げたら青春だろうなぁ」と思います。
でも、撮影現場は多くの人がいろんなポジションで頑張っていて、もちろん彼らも監督からの演技指導に頭をフル回転させて、「良い作品」作りに力を結集させたでしょう。
だからこそ、その完成作品を観て、「楽しそう」を思う人が出て来るのです。
自由と束縛
忙しい時期を乗り越えて、待ちに待ったイベントを迎えた日、人は自由と同時に「幸せ」を感じるのでしょう。
これが逆にどうにてもなる自分だけの予定しかなくてイベントの当日を迎えても、同じような「幸せ」を感じられたでしょうか。
結局、「幸せ」は上昇した振り幅で、我慢や努力を経るからこそ、より強く感じられるのでしょう。
例えば、「おにぎり」でも、腹ペコで差し出されたら「ありがとう!」と心から言えるはずです。
ところが、具材まで厳選された上質なおにぎりも、満腹の時は手が伸びません。
でも、同じように「おにぎり」が食べたくて、普通のおにぎりの隣に厳選おにぎりが並んでいたら、やはり気になるのは誰しもです。
介護の業界で、「マズローの法則」という考え方があって、安全や健康を保ちたい心理がベースにあり、自己満足や仲間からの共感、さらには社会からの評価へと段階的に満足度は変化するというものですが、やはり「おにぎり」にも同じようなことが言えるのでしょう。
結局、365日、完全にフリーになったとしても、人は継続的には幸せを感じ続けることはできません。
段々とそんな状況に慣れてしまい、「暇だ!」とか「寂しい」という隙間風が心に吹くのでしょう。
そうならないように、自分自身で心をコントロールすることになるのですが、「仕事がある」とか「社会から認められる」という感覚は、面倒でも欠かすことはできません。
もしも、金銭的に不自由ない状況になったとしても、自分で自由をコントロールして、「自由と束縛」をバランスよく組み合わせることが必要です。