世間が寝静まった近所の駐車場で

 連休明けに職場で

サービス業としての考える介護の仕事は、お客様である利用者との関わりから始まります。

こみちは、よく気がつく「できる介護士」ではありません。

ある意味では、介護をこれからの人生に役立てていきたいと考えているほどです。

介護の仕事をしていると、自然に「老い」についても考えてしまいます。

これまでの経験を踏まえて例えるなら、「老い」は「機能の低下」です。

例えば、今の機能が2割程度ダウンしたとしましょう。

耳が遠くなり、以前よりも聞こえづらくなったというイメージです。

目が見えなくなったとか、足腰が悪くて踏ん張りが利かなくなったとか、日常生活の中ではいろんな機能を使って我々は生きています。

単純に耳が遠くなったというだけでなく、視力や脚力面でも2割程度ダウンしたような場合、計算上は全盛期の半分程度能力になったのと同じです。

まぁ単純に0.8を3回掛け合わせただけなのですが。

キャンプ好きな人が、キャンプ場まで出掛けてテントを設営し、そこで調理をして自分らしい時間を楽しむ。

キャンプが好きな人も、それに憧れている人も、想像するだけで楽しい気分になれるのではないでしょうか。

例えば、こみちの場合、徹夜をすれば翌日は起き上がれないほど体力を消耗します。

つまり、若い頃のように「体力」にものを言わせて、勢いで乗り切ることなど不可能です。

書いていて思い出しましたが、24時間耐久ツリーリングをしたことがありました。

バイクで走っていることが楽しくて、もう「永遠」に続けば良いと思っていたほどです。

でも今は、そんな風には楽しめません。

とても残念なことですが、老いを感じ始めるこの頃、いかに「身体」と対話するかがポイントです。

介護施設には、80代後半や90代、100歳を超える人もいます。

それぞれ興味深い人生経験をお持ちですが、中高年のこみちの方が体力も気力もあるのは事実です。

もっと言えば、10代の人に与えられた可能性は、どんな年代の人よりも高く、本人にすれば悩みもあるでしょうが、中高年のこみちから見れば「羨ましい」の限りです。

もちろんそんな若者も、数十年過ぎればこみちと同じ心境になり、「若さって素晴らしい!」と言い始めるでしょう。

思いついたまま「将来を考える」

運と勢いは若者の特権です。

奇跡が起こるのも、大きな夢が叶うのも、「若さ」あってのことです。

田舎育ちのこみちが、初めて東京に出て、ここなら何でもできると思いました。

でも、今の年代になって、例えばニューヨークに行っても、当時のような気持ちにはなれないでしょう。

それはつまり、いつでも自分の限界を意識しないと、病気や怪我をしてしまうからです。

準備をすることや計画を立てる。メモを取るなんてことも、若い頃よりずっと頻繁にしています。

久しぶりにこんな時間に、寝静まった周囲の様子を眺めながら、カップ麺とおにぎりを脇に置いて、カタカタと画面を叩きながら文字を打ち込みます。

本当に久しぶりで、家を出る前に、「眠いし明日に響くからなぁ」と何度も思いました。

でも、たまには当時のようなことをしても良いだろうと、決して遠くはない駐車場の一角で、車を停めたのです。

正直に言って、これが明日も明後日も続くとしたら、「もう普段の生活に戻れないのか?」と不安になります。

夢も勢いもあって、そんな暮らしが楽しい時なら、不安も感じません。

しかし、実際に寝静まった時間帯に、少し眠気に襲われた頭で、文章を書くのは、なんだか孤独感に包まれます。

怖さを知ったと言えばそれまでですが、いつの頃か、自分の体力に自信がなくなって、突然のアクシデントに向き合える気力がなくなりました。

90代になる尊敬できる利用者の一人は、「もう眠いんだよ」と言って、最近は寝てばかりです。

つい数ヶ月前とは比べられないほど、人の生活は早いタイミングで変化します。

男性でも100歳を迎える人はいますが、90代でカラオケを口ずさめるだけでも、本当に素晴らしいことでしょう。

もちろん、もう自力で歩くこともトイレに行くことも、テレビをつけて観ることもしなくなりました。

目の前に運ばれたお茶でさえ気づかないで、「お茶が飲みたい」と訴えてきたりします。

それだけ視界が狭く、情報をくみ取る力が失われてしまったのでしょう。

でも時々、元気がある時は、昔話をしてくれます。

海外で働いて時のことや、仕事で大失敗してしまったことなど、その方の持ちネタになった話はもう何十回と聞きました。

一見すると、「また同じ話」と思われるかもしれませんが、大抵は初見だと思って話してくれていて、あいづちに対するリアクションさえ、毎度変わらないから不思議です。

段々と薄れゆく記憶の中で、それでもはっきりと覚えている話は、その方にとってあせることのない思い出なのでしょう。

今のこみちにそんな持ちネタはありませんし、これから老いていく中で、何が残せるのかと思ったりします。

本当はこのまま、朝までここに居ようと思ったのですが、なんとなくこの記事に終わりが見えて来て、車よりも自宅の布団の中で朝を迎えたいと思い直しました。

送信したら、すっかり冷めてしまったカップ麺を最後まで啜り、利尻昆布を使ったおにぎりを頬張ることにします。




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