人生の勝ち負けはどこで決まるのか?

 動かす力

人生を振り返ると、例えば運動ができる人や勉強ができる人、さらには仕事ができる人に遭遇しました。

そして、「人を動かせる人」がいることに気づき、人生観にも変化が生じたと感じます。

例えば、こみちは介護士をしていて、高齢者の支援を仕事で行っています。

サラリーマン時代であれば、自身の得意分野をメインにしながら、その周りにあるポイントを加えて、より柔軟で懐広い仕事を目指して来たと思います。

ところが、他人様の人生に寄り添うようになると、自分が得意な部分が当然になり、できないこと苦手なことが「穴」になります。

ざっくりといえば、歌も歌いますし、スピーチもします。さらに料理も作れば、散歩にも行き、トイレに誘導して風呂にも入り、さらに人生の終盤には最期の見送りや蘇生にも力を貸します。

そんな風に書き出してみると、「介護士」って何でもできて当たり前で、まだまだ完璧には程遠いだけに、見習うべき先輩方の仕事ぶりには感心させられます。

さらに言えば、例えば医師でも看護師でも、その人柄で利用者を安心させられる人もいれば、担当としての仕事は全うしても、それ以上の何かが起こらない人もいます。

特に介護士という立場で言えば、その人の「幸福」にどこまで寄り添うことができるかは、とても大きな課題だからです。

現状、コロナ禍で施設内の移動もかなり制限させていて、利用者は家族とすら面会できない状況が続き、精神的にも不安定になっていて、認知機能の低下も起こりやすくなっています。

忙しい業務中でも、できる限り利用者との触れ合いを心掛けているつもりですが、中高年になった身体では、常にMAXで活動し続けることはできません。

一方で、音楽コンサートや舞台、映画などの分野に目を向けると、そこにはスポットライトを浴びて輝いている人がいます。

大人の事情を話せば、事務所の後ろ盾というかも知れません。

しかしそれでも、スポットライトを浴びてなお、輝けることは称賛させるべき素質であり、スキルと言えるでしょう。

そんな人を見て、人は憧れたり、自分を重ね合わせたりして、大きな波となり、時間や場所などを超越して感動を生むからです。

「人を動かすこと」は誰にでもできることではなく、またどんな場合でもできることではなく、そこには「輝くための巡り合わせ」もあるのでしょう。

スポットライトが外れた瞬間

スポットライトに照らされて、その人が持つ才能をフルに発揮します。

同時に照らされたことで真偽が見え、時にはスポットライトが外れてしまうこともあります。

その時、これまで周囲から受けてきた評判や評価が一変し、その後の発言すら光を失ってしまうことは珍しくありません。

なぜなら、スターになる素質を持っていても、その方法やタイミングを見失ってしまうと、どんな人でも「ライトが外れてしまう」からです。

人生の勝ち負けはどこで決まるのか?

そもそも、人生に勝ち負けがあるのかと疑ってしまいます。

こみち自身が感じる人生の勝ち負けは、「老いた後の生活」に現れると思います。

例えば、どんなに才能に恵まれていても、老いてくると生活のいろいろなことができなくなって、誰かに頼るしかなくなります。

今は想像できなくても、トイレや食事さえ、自分ではできないことも珍しくないからです。

そんな時に、介護士は仕事として分け隔てなく対応しますが、それが全てにおいて適応されるかは誰にもわかりません。

公平や平等という言葉の本当の意味も、ある意味、その時に知るのかも知れません。

自分を自分でコントロールできなくなった時、人はどう人生と向き合い、それでも幸せを見つけられるかが、「人生の勝ち負け」と言えるのではないかと思うのです。

人を動かした後

スポットライトを浴びて輝いた人でもl不遇の晩年を過ごした人はたくさんいます。

結果として世間的には恵まれた人だったかも知れませんが、表に出ることなくひっそりと余生を過ごすこともよくあることです。

その意味では、才能があって、チャンスがあって、誰かを幸せにできるのなら、その「動かす力」を出し惜しみせずに役立てて欲しいと思います。

一方で、そんな才能がないと感じたら、輝こうとしている誰かをサポートしてあげることです。

介護士の仕事で、高齢者と接し、彼らがどれだけいろいろんs経験や体験を経て今に至るかを知れば、できることならしてあげたいと思う一方で、何もできない自分にも気づきます。

つまり、思うだけでは何もできないってことで、「人を動かすこと」は特別なことではなく、日常のいろいろな場面で遭遇することでもあります。

ロジックとして自分防衛するだけでは、結局のところ何もできないまま、でも老いた時には誰かに世話してもらうしかないのです。

だからこそ、自分にできることは出し惜しみしないで、少しでも手を伸ばす習慣を持つことは有益です。

長い人生の中で、ある瞬間にスポットライトを浴びたような幸福感を得ることがあります。

でもその時に前に進むことを止めると、すぐにそのライトは自分から外れてしまうでしょう。

そして、ライトを浴びていたことが、周囲からのサポートだったことを忘れてしまうと、その人は自分からどんどん下降線をたどります。

「オレの人生って…。昔は良かったのに」

でもそうではないんですよね。

ライトを浴びるタイミングが巡って来た時に、「どんな準備をして来たのか?」を問われただけだったのです。

準備すらしなければ、折角のチャンスも1年も持たずに去ってしまいます。

逆にスポットライトの眩しさを知っているからこそ、その後の人生が荒れてしまう人だっているでしょう。

人生で勝者になる人は、早かれ遅かれ、しっかりと準備をして巡って来るチャンスを掴めた人をいうのです。

だからこそ、老いてもなお、人から支援され、幸せに老後を過ごせるのではないかと思います。

施設にいる利用者は、誰もが「良い人」で、彼らに会えて良かったと常々感じます。

だからこそ、最期の時に手握り、「ありがとう」と言って見送ることができると思うのです。



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