「走れない」という喪失感があるって話

 日常生活の中にどれだけ「ランニング」が大切だったのか?

まだ1日だけなのに、「走れない」ということで日常生活をどんなにつまらなくさせてしまうだろう。

介護士の資格を持つこみちにとって「歩く」ということは、かなり大きな意味を持つ。

これから年を重ねて65歳を過ぎ、社会から公的な介護サービスを受ける時が来たら、先ず最初に行う手続きが「介護認定」という調査を受けること。

簡単に言ってしまえば、「どれだけ生活面で不自由なのか」を行政に分かってもらうためのものだ。

そして、要支援1という軽いものから要介護5というより重いものまで、7段階に区分されて段階に応じた支援を受けることができる。

7区分する理由は、それぞれの段階で与えられるポイントが決まっていて、「家に介護士が尋ねて来て、料理や洗濯をしてもらう」と事前に決められたポイントを使うことになる。

また病院の付き添いや、デイサービスと言われる朝から夕方まで利用できる施設なども希望すると利用できる。

そこではリハビリを受けることもできるから、ジム感覚で運動したいという要望も相談できるだろう。

相談する相手は、「ケアマネ」という資格を持つ人で、こみちが持っている介護福祉士になってからさらに5年以上の介護経験があると、各地のケアマネ認定試験を受けることができる。

それがざっくりとした介護業界の仕組みだが、「歩く」ことができない段階(もちろん絶対ではないが)になると「要介護3」という段階以上に認定されることが多い。

介護士の立場でいうと、人が自力でトイレまで行けないようになると、一気に介護サービスの内容が複雑になる。

まして、住み慣れた家で暮らし続けるにも、サポートして欲しいことも増える。

なぜ、こんな話をしたのかと言うと、いつも当たり前にランニングできていたことを感謝しているからだ。

幸いにも、現状をみる限り「疲労骨折」のような兆候はなく、「シンスプリント」なのかもしれない。

思えば、いつも使っているコースは路面が完全な水平ではなく、ずっと右側に傾斜がついている場所を使っている。

考えれば、そこを何周もしていると体は右側に傾いているはずで、特に右足に関しては内向きに着地していた可能性がある。

まだ詳しく知っていないけれど、足を内向きに着地すると外側の筋肉だけを使うことになって、それが原因の故障が起きやすいらしい。

踵から親指へと体重移動させようとしても、傾斜地を走ることで起こりやすいトラブルがあるのだろう。

その意味でも、これまでは同じ方向ばかり走っていたので、逆方向も取り入れるなどして、着地でも偏りにも注意した方が良さそうだ。

走れなくなって、ランニングのことをあれこれと考え試せなくなったことが、まだ1日だと言うのに、とても残念に思えてしまう。

足に負担が掛からないように、走れなくても歩きたいなと思ってしまう。

キロ何分ということばかり気にしていたけれど、「体を動かせる」ということに感謝したい。

こんな記事はいかが?