「ひと工夫」が現代社会でどれだけ大切なのか?

 「ひと工夫」によって圧倒的な違いが生まれる!?

こみちは趣味で絵を描く。

YouTube にもチャンネルを開設し、気ままに描いた作品を公開していたりもする。

興味を持った人がいたら、「こみちチャンネル」と検索して欲しい。

それでも簡単には見つからないところでひっそうと公開している。

反響はというと、優しい人が労いの意味も込めて視聴してくれるという感じだ。

とても嬉しい限り。

でも、世間的には同じ「絵」をテーマにしながらも、チャンネル登録者100万人を超える人もいる。

その方は日本人ではなく、海外を主戦場に活動されている人みたいで、サムネに特徴的な工夫が見られる。

絵を描く者からすると、絵が好きなことは例外なく根っこは同じ。

表現したいものがあって、それが上手く表現できて、しかも視聴者の方々から支持されれば本望だろう。

こみちの場合も、そんな本望を夢見て、このシーンを共感できたらなぁと思いたち、それをせっせと描いてみる。

画力の関係もあって、伝えたい100%を描けているかは疑問だとしても、描こうとした気持ちと無心で描いた時間が至福でもある。

しかし、YouTube で反響を優先して考えるなら、もっと別の「ひと工夫」が何よりも大切だと気付かされる。

なぜなら、YouTubeを見ている多くの人は絵を描かないし、描くことで何か満たされた気持ちにもなったりしない。

こみちが思うような「ここを描けたらからもう満足だ」という微妙なこだわりも、気づいてくれたら本当に嬉しい限りだが、多くの人にとっては関心ごとではないだろう。

それくらい、マイナーな描き方をしている。

でも人気のあるチャンネルの場合、圧倒的に「メジャー」な手法で、多くのユーザーから視聴されている。

その差に気づいたきっかけは、本当に些細なサムネのひと工夫に気づいたこと。

そう感じる。

というのも、最初サムネを見た時にどう完成させるのかと期待して見始めたら、途中から最初の仕掛けは結果を伴わず消え去り、後半は通常の手順で描かれていた。

こみち自身としては、「最初のサムネはどういう意味だったの?」と気になってしまうから、自分にはできない「ひと工夫」だった。

でも、終始一貫した工夫は観てもらうという目的においてはそれほど大切ではなく、むしろ、クリックしてもらうために「サムネ」のひと工夫があるのだろう。

その意味では、チャンネル主の顔や特徴的なロゴマークなど、サムネ一覧を見て「あのチャンネルだ」と気づいてもらう工夫がとても大切になる。

むしろ、そこが全てかもしれない。

もちろん、動画の内容がつまらないと2度目は観てもらえないだろう。

しかしそれでも、コンテンツ一本あたり100回にも到達しないこみちの場合、まずは一回目を観てもらう工夫をしないと始まらない。


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