人生100年!? 我々はどう生きるべきか?

 東京オリンピックも終わろうとしているが…

数々のドラマが誕生した今回の東京オリンピック。

しかし、その裏ではコロナ感染者の急激な増加が深刻になっています。

ここで、東京オリンピック開催の是非に触れたいとは思っていません。

ただし、そんな時代を迎えた我々が、これからどう生き抜くべきかを真剣に考える時期を迎えたことは事実でしょう。

オリンピック選手たちも、今回の大会に出場が決まるまで長く厳しい努力を続けて来たはずです。

つまり、人生が100年続くのだとしたら、その内の10年とか20年とか、競技者として絶え間ない鍛錬を積み重ねて世界に挑むのです。

そして、いつかは引退をして、後継者の育成にその経験を活かす人がいれば、全く異なる世界でまた一から努力される人もいるでしょう。

思えば、オリンピック選手になれる人は、厳しい選考争いを突破した勝者。

つまり、同じように努力を続けて来た人の中には、残念ながらオリンピック出場の夢が叶わなずに節目を迎えたという人だって存在します。

いずれにしても、人は何かに向かって自身に与えられた時間と引き換えにしながら、段々と「老い」へと向かっています。

個人差はありますが、多くは80代になる頃には、現役を引退されて、これまでの人生を振り返る時がやってくるでしょう。

その時に、「選手として東京オリンピックに出場したなぁ」と思い出せる人は、自身の人生を貴重なものにしてくれるでしょう。

その意味では、出場が叶わなかったけれどスポーツの楽しさを知っているという人もいます。

どうだからという形式的なことではなく、さまざまなことがある中で、人は自身の人生を少しずつ消耗させて、最後に振り返った時に「総評」をするのでしょう。

こみちが思う「人生」の目標

1つには、その瞬間にどれだけ感動できるのかということでしょう。

大金持ちになって、何度も買えるようになったのに、実はあまり幸せではないと思う人は少なくありません。

その理由は、「買う」ということで得られる感動はそれほど大きなものではないからでしょう。

そして、「売っているもの」よりも「自分で作ったもの」の方が思い入れしやすいからです。

確かに時間がない時、コンビニで簡単に弁当を買って済ませられたら便利です。

食材を切るところから自分でするのは大変だからです。

でも、長い時間が経過した後に、どれだけその時のことを思い出せるでしょうか。

仮に面倒だったり、大変だったとしても、苦労した経験は思い出にもなります。

その意味では、「お金でできること」は記憶に残り難いことが難点です。

つまり、記憶に残すなら、どれだけ欲しいという気持ちを持続させられたのかがポイントで、衝動買いに近いほど記憶にも残らないはずです。

そんな風に思うと、キャンピングカーを使ったバンライフは、不便だったとしても思い出に残る体験でしょう。

フル装備されたキャンピングカーもいいですが、多少の制限が伴ってもそれがより印象的にしてくれたなら、結果として悪い出来事ではありません。

若い頃なら、自転車旅もいい体験になったでしょう。

暑さも寒さもよりダイレクトに感じますから、車旅では見落とした記憶が残されます。

一方で、無難な人生を送ってしまった人は、中高年と呼ばれる年代になってこのままで良いのかと考えるかも知れません。

真面目に勤務して定年まで働き通せば、老後は安泰です。

しかし、経済的には安泰でも、テレビを観て過ごすだけなら、毎日の変化は無くなって、気づけば一年また一年と時間が経過されていきます。

何もないから幸せということではないのでしょう。

むしろ、克服できるくらいのことがあって、それをこなしながら生きられた方が人生としては生きている実感も増します。

例えば、キャンピングカーで旅に出て、初めて入る店でその日に食べる食料を探すような時間は、不便に思えて楽しい時間だったりします。

自宅で食べるカップ麺は食べ慣れていても、出先で買い込んだならまた特別に感じます。

それこそ、高価なキャンピングカーでなくても、フラッとマイカーで走り出し、その場の出会いで決めるような旅も悪くありません。

あれこれと考え過ぎると、準備ばかりに時間を掛けてしまいますが、意外と始めれば楽しいことも多いはずです。



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