こみちの人間観察好きは昔からのクセ
あまり、絵など描かない人は気づいていないかもしれませんが、その人らしい「線」と言うものがあるんです。
似顔絵を描く時も、完成形が似ているかどうかよりも、その「線」を描けたかどうかが個人的にはポイントだったりします。
耳から聞いた「音」は見事なくらい記憶に起こりません。
しかし、目で見た「景色」は、不思議と記憶に残っています。
しかも全ての景色ではなく、辺りをキョロキョロして「ん?」っと感じた違和感を覚えてしまうのです。
人が嘘をつく時、言い難い話を切り出す時、いつもとは違うことをする時、なんとなくでも「威圧感」があります。
歩いていて、パッと横を見た時に、瞬間的に見えた景色が「威圧感」だったりもします。
別れ際、最後のひと言が、いつもとは異なるトーンやスピードだったりすると、何となく気持ち悪くて、「どうかしたの?」と唐突に聞いてしまうかもしれません。
絵を描く全ての人がそうな気質とは思いませんが、少なくとも同じようなタイプの人っているのではないでしょうか。
嘘の線はいくら重ねて描いても真実には近づきませんが、本当の線は重ねて行く度に真実を浮き彫りにしていくから不思議です。
よく見ると大雑把な線なのに、少し引きで眺めると、そこには確かに見覚えのある真実が描き出されている。
絵を描く時のこみちが目指している目標でもあります。
面白い人と面白くできる人から学ぶ!?
人を惹きつける魅力には2つのパターンがあるようです。
それが、「面白い人」と「面白くできる人」。
面白い人は、そこに計算が含まれていません。
モノに対する接し方や取り組み方に独特のクセがあって、それが周囲を和ませます。
まぁ、「天然タイプ」とも言えるのでしょうか。
一方で、「面白くできる人」はロジックを組みます。
ロジックとは、理屈のことで、言うなれば起承転結を意図して考えられる人です。
お笑い芸人や小説家などに多いタイプでしょう。
でも、役者になると少し異なって、ロジックを生み出すのではなく、誰かのロジックを心身で受け止めるタイプだからです。
喜怒哀楽のような「トス」をもらい、それを使ってセリフと表情を織り交ぜて、演技へとつなげる才能に優れた人と言うことです。
YouTube を見ていると、面白くできる人ほど、なんだか悩んでしまっているように感じます。
実社会全体と比べれば、YouTube の世界は狭いので、それだけ試行錯誤も結果につながりやすい傾向があります。
だからこそ、ロジックを試してみたい人が、「何か面白いことはできないだろうか?」といろんな企画でみんなを楽しませてくれました。
しかし、必ず「狭さ」故の限界も見てきます。
もっと広い実社会では設定可能な選択肢が、YouTube では固定されていたりするからです。
一方で、面白い人は、まだまだYouTube でも元気に突っ走っています。
でも、よくよく観察すると、それは結果的にそうだと言うことで、むしろ彼らはYouTube にこだわっているわけでは無さそうです。
もしも、YouTubeがなかったとしても、彼らは彼らのままですし、別の方法やスタイルで彼ららしく生きて行くのでしょう。
あるキャンピングカーのYouTube チャンネル運営者のコンテンツを観ていて、まだ20代と知り驚きました。
サラリーマンとしてのキャリアを考えれば、20代や30代は特に大切な時期ですし、そこを経由して30代以降に独立開業して行くのがセオリーかなぁとこみちは考えてきました。
でも、そんな前提さえすっ飛ばしてしまうほど、才能豊かな人は考えることが違います。
何より「10年後」さえも想像していないと語った彼の話に、こみちは中高年になって感じ始めた新しいロジックを思い浮かべました。
中高年になって長い時間を使う仕掛けはしません。
せいぜい1年くらいのモノで、若い頃なら5年とか10年単位で取り組んだこともありましたが、そんなに先の話はもうできないと思い始めました。
少なくとも、40代や50代になると、若い頃とはいろんな面で変化があります。
若い頃の当たり前を維持することすら困難になり、前に進むと言う発想ができないことを認めたくなくても認めるしかないのが「老い」だったりします。
その意味では、若い頃にしかできないことは、その時にするべきで、でも中高年になってからの開拓は身に染みるので、それまでに基礎を築いておいた方が楽に生きられます。
先日、ドキュメント72時間でも感じましたが、深みのある人生はその人と長い時が作り出すます。
苦しい選択肢を突きつけられた状況を受け入れて、そこからどうロジックを再構築させて行くのかを知るからこそ、その人の生き様に感動を覚えるのでしょう。
長く生きるのは本当に難しいことで、きっと我慢や忍耐の割合が増えてくるはずです。
だから苦しいのかと言うと、きっとそうではありません。
なぜなら、多くの人はそれを受け止め、さらに笑顔で明るく暮らしているからです。
介護士をしていると言うこともありますが、杖を使って必死に歩いている人を見て、ただただ凄いとしか思いません。
こみちなら、そんな姿を見せたくないと家に引きこもるかもしれません。
でも、それだっていつか誰もが何らかの形で迎える現実で、「だからこそ何をするのか?」と言う話です。
結局のところ、自分の人生は自分が主役で、そこはいつまでも変わりません。
何もロジックが思い浮かばなければ、人生の楽しさも感じられないでしょう。
でも、人は誰かと出会うことで刺激を受け、そこから学ぶこともできます。
真似ることをきっかけにして、段々と自分らしさに変えることもできます。
生まれた時から生まれた使命に気づけるのはほんの限られた人たちで、多くの人はさまざまな環境の中で好みを知り、自分の人生を進みます。
広い意味では、面白い人も面白くできる人も目的は同じで、そのアプローチの仕方に違いがあるだけでしょう。
人生観をYouTube サイズに合わせようとするから見失うのであって、もっと自由に進んで行けば、逆にYouTube でもオンリーワンのコンテンツになるのかもしれません。
「っぽい」ではなく、「らしさ」を貫くことが、自分の人生を本当に楽しむことなのでしょう。