物理的な垣根を越えて
昭和という時代に青春時代を過ごしたこみちにとって、「リモートワーク」は憧れの職種でした。
もちろん当時はリモートワークという言葉ではありませんが、「場所にとらわれない働き方」をしたいなら、目指すべき職業も限られていたからです。
言い方を変えると、インターネットの普及が私たちのライフスタイルを大きく変化させましたし、ネットは電話回線を一時的に使うものでしたが、いつしか常時接続が当たり前となり、メールやSNSで時間的なタイムラグすら感じさせない利便性が常識になったのです。
例えば、ハイエースをベースに仮装されたキャンピングカーを使えば、仕事と寝床を確保しながら、全国各地を巡る事が可能です。
もちろん、昭和の頃にもキャンピングカーはありましたし、当時だって全国を巡る人はいたでしょう。
しかし、平成に入っても、インターネットはパソコンから接続するもので、固定回線を利用していた人が大半だったはずです。
つまり、キャンピングカーとネット接続はまだ別のものであり、旅先からデーター通信するイメージよりも、CDやMDにデーターを保管し、郵送で出版社に送る流れが大半でした。
PowerMACにAdobeのソフトを入れて、データサイズを意識しながらイラストを制作していたのです。
メモリーも128Mbyteだったりで、512Mbyteも乗せていたらかなりマニアな領域だったでしょう。
それ故に、起動させるソフトを制限したり、割り当てるメモリーを細かく設定したりして、パソコンの動きに合わせてゆっくりと操作していたほどです。
「爆弾マーク」が現れた時のショックは誰もが経験したことでしょう。
それ故に、作業中のどこポイントでセーブするのかデザイナーによって異なりましたし、セーブ中にトイレ休憩やコーヒーブレイクへと投入することもありました。
その当時を思えば、全国どこにいても仕事ができるというのは驚きの話です。
田舎暮らしを手に入れる!?
田舎育ちのこみちにとって、田舎暮らしは不便さを思い出させます。
のどかな景色も、ただ変化に乏しい場所でしかなく、例えばキャンプで使うテントも、不便さを思い出させるのです。
時間にとらわれないゆったりとした朝や鳥の囀りが聞こえる昼さがり、西から差し込む夕焼けに一日の終わりを感じるというのも、イメージでしかありません。
しかし現代では、そんな寛ぎの時間と同時に、仕事でも最前線で活躍できます。
もちろん、インターネット接続があるからで、以前のようにイラストレーターや作家というような肩書きを得なくても、一般のサラリーマンがリモートワークで働ける時代です。
それだけ場所にも時間にも縛られない暮らしが普及した一方で、自己プロデュースという責任も担うようになります。
他者と接触する機会が減ったことで、市場に対する意識がより問われるようになったからです。
例えば、キャンピングカーで全国を巡るとしても、それだけでは転勤族と大きく異なりません。
つまり、キャンピングカーライフそのものが常識化して、目新しくなくなったからです。
ではなぜに「移動することにしたのか?」を問われる時代になり、やがてどこに住むかではなく、「何を果たせるか?」を問われるでしょう。
かつてなら一つの職業を極めれば良かった時代もありましたが、複数の専門性を持って当然となり、さらに幅広く自身の役割を見つけないと、生き残れなくなります。
「自由」を得たのに、それ以上の「課題」を背負う。
田舎暮らしを手に入れたら、例えばロッジ風の家を自作し、畑も耕し、家畜も手に入れる。
そして、都心から持参した仕事もリモートワークでしっかりと行う。
悠々自適に見える外見とは異なり、満喫した暮らしを印象づけるには、以前には感じなかった「時間」に追われます。
息抜きのはずの遊びさえ仕事に変換しながら、時々、都心での生活に戻りたいと感じるでしょう。
インフラ環境こそ充実したものの、当時と同じように自分で解決することが問われ、時間ある限り新たな可能性を探りながら生きていくことに変わりありません。
しかも、過去以上にそんな生活を行うことになれば、その内リモートワークが重荷になって、田舎暮らしやキャンピングカーライフも生きるためのものになるでしょう。