それぞれの人生
中高年と呼ばれる年齢を迎えて、体力だけでなく、視力や聴力などの衰えをひしひしと感じます。
こみちは介護士という仕事に就き、70代、80代、90代、それ以上の年齢の高齢者の支援をさせてもらっています。
比較的利用料金の高い施設なので、利用者の多くは社会的地位のある人やその配偶者です。
ただ、車椅子を終日使う人は、基本的に一人で歩くことができません。
つまり、移動はできてもトイレの便座に一人で座れないのです。
ルーティーンの作業をしながら、利用者たちの様子を観察し、必要があれば近づいて「トイレは大丈夫ですか?」と声を掛けさせてもらいます。
中にはかなり我慢していた人もいて、便座に座った瞬間にホッとした表情を浮かべることも少なくありません。
自宅での介護とは異なり、どんなに介護士が気をつけていても、利用者の中には不便を我慢して過ごしていることもあるのです。
結局のところ、お金は何かの代償にはなっても、できなくなったことを補う力はありません。
あくまでも、介護士を介して、サポートを受けるに過ぎないのです。
親の介護が迫っている!?
以前から、両親の介護が数年のうちに始まると思ってきました。
介護士として多くの高齢者と接していれば、老化の傾向や特有の行動もなんとなく理解できるようになります。
実際、70代の前半でも、脳梗塞などを発症したことから身体の痺れやマヒが残り、歩行が困難になったり、認知機能の低下による不可思議な行動が増えたりすることも珍しくありません。
そう考えると、親世代の健康的な暮らしは感謝したいことですが、それでもちょっとした時に「大丈夫なのか?」を気になる言動も増えてきました。
特に、自分は大丈夫という気持ちと、それを指摘された時の反応に、施設で見かける特有さを感じてしまいます。
まだ、しっかりとしたサポートを必要とする訳ではありませんが、生活習慣によって症状の進行に大きな差があるのも事実で、場合によっては早目の同居や介護支援サポートを受ける準備、さらに伸び伸びになっている終活に向けた財産や身の回りの整理なども進めてもらうようにアドバイスしたほうがいいと感じます。
介護士として利用者に説明させてもらう時とは異なり、親となるとその意図を伝えるのにも苦労します。
人生が詰んでしまう時!?
中高年であれば、リストラや熟年離婚などをきっかけに、これまでの生活が一変してしまうことも少なくありません。
そして、環境の変化から、心身状態に変化が起こり、消極的や無関心な状態になってしまうケースも見かけます。
極端な話、経済的な不安がなく、過度な責任もなく、それでいて周囲の環境から受け入れられていれば、本人は笑顔でいられます。
ところが、そのどれかに不安が残っていると、特に高齢者の場合は年齢以上に老け込んで見えてしまいます。
例えば、老老介護で苦しい生活を強いられていると、それこそその苦労から抜けられない不安があるでしょう。
ある意味で、自分自身で対処できる場面なら問題はありません。
しかし、高齢者の場合は、誰からの支援がないと生活の維持は難しく、自分だけではどうにもならないことが増えてきます。
その意味では、ある程度認知機能が低下した利用者は、とても穏やかな表情になります。
逆に少しずつ不安を感じ始める頃は、表情も厳しくて介護士の呼び掛けにも素直に反応してくれないことも出てきます。
中高年の我々が、それこそ住宅ローンの返済が遅れ始め、銀行などからの催促が始まってしまうと、一日中返済のことばかり考えてしまうでしょう。
しかも、サラリーマン時代とは異なり、収益も少なくなってくるので、悩み事とは背中合わせの状態です。
異変が起こり、それから本人の様子に異変が出て、1ヶ月とか2ヶ月という短い期間で食事も拒否して反応が無くなることも珍しくありません。
健康的な高齢者でも、異変が起こってしまうと急変してしまうこともあるのです。
そんなケースを見てきたので、まだ大丈夫と思う一方で、それだけ高齢化の波が近づいているとも感じます。
片方でも異変が起これば、こみちか妻の仕事も継続出来なくなることも起こり得ます。
それが両親共々になると、自宅での介護には限界もあります。
まだ大丈夫と思いたい一方で、もう「人生が詰んでしまうのではないか?」という不安も起きています。
親の家や、まだ整理できていないだろう荷物を、休みの日を使って一緒に整理するしかないとなれば、それこそ自分の時間は失われて、本当の意味で親の介護が始まるのでしょう。
耳が遠くなったからなのか。それともまだらボケが始まっているのか。
いずれにしても、それなりの覚悟をしておかなければと感じはじめました。
自分探しの旅に出ることができる人は、今のうちにしておいた方がいいですよ。
自分が中高年になってくると、自身の健康状態もそうですが、親の介護も待っていますし、中には施設に入れてほとんど面会にも足を運ばない家族もいますが、利用者はいつもそんな家族の対応に心を傷めているようで、時々自身でどうすることもできずに介護士に向かって荒れたりもします。
でもそれで生きていかれるのなら、介護士に当たってくれたらいいと思います。
家族として「人生が詰んでしまう」よりも、そのする方が双方のためだからです。
急に、「人生が詰んでしまうのかなぁ」と思い始めて、近々に待っている不安要素を思い浮かべては、その対処方法を想像していみました。
変わろうとしない親たちも、変われないようになってしまったことに気づけなくなっています。
「まだ若い!」
そこから意識を変えられなくなり、全てが不完全な状態で残ってしまうのも、高齢者になった特徴です。
プライドを気にしながら、でもどうすることもできなくて、昨日と同じ今日を過ごすだけになっていることに、側にいるこみちは不安しかありません。
本当に親の介護を担えるのだろうか。
仕事のこと、将来のこと、いろんなことで頭がいっぱいです。